常識を疑う(2日目)
一般的に言われている、月曜日が辛いと思う気持ちが日に日に強くなってきました。月曜日も楽しみだなと思って仕事に臨んでいないからだと考えられます。
辛いと思ってやるのことが美徳である、辛いと思ってもやりきることが当たり前、正直正しいと思えないです。どうしてしんどいと思ってしまうことをそのまま受け入れてはいけないのでしょうか。楽しいと思い込んで仕事をすることもおかしいですし、上の人達が自分を犠牲にしてこの社会を作り上げたのだから君達も同様に頑張れよと言われるのも意味がわからなかったです。
新人研修中にレンガを積む人の話を受けました。
「どうしてあなたはレンガを積んでいるのか」という質問に
A.給料がいいから
B.教会を立てるため
C.人が集まる居心地の良い施設を立てるため
と答える人がいて、君達はCのような目的を持って行動する人になりなさいと言われました。
これもおかしなことで、人物の背景を分からずに安直にCと選ばさせているように思えます。Aはただお金を稼ぐために働いているのだから、次にお金が高いところがあれば辞めてしまうと考えられると言われますが、それなら給与を上げて最後まで働かせればいい筈です。ひょっとするとレンガ積みの下積みとしてここで働いているのかもしれません。Bは教会を立てるという目的だけで働いているからCよりも目的意識が低いことが挙げられますが、もし彼らが下請け会社で上からの依頼で教会を作っているならBのように解答すると思います。教会を自分の力で立てようと思っている人かもしれません。
つまり何が言いたいかというと、人が働く背景は千差万別であり、上の人達が言う常識は常に変化するかもしれないと言うことです。会社や社会が言っている常識が全部正しいなんて思わないことです。
最初の言葉を振り返ると
月曜日はしんどい→毎日楽しい生活を送るようにやりたいことをやる
と常識的なところを変えてみると、新しい気持ちで生活を送れるのではないでしょうか。
それではまたノシ