自己研磨日記〜オナ禁への道〜

ある男の自己啓発日記 禁欲、思考、時々趣味を語ります。

思考と行動とバランスと(1日目)

昔から自分の意思決定に疑問を持っていました。周りに流されてなりゆきでなってしまったのかと考えてしまいます。いつも事あるごとに、ひとつひとつの行動にこうやっていれば良かったと後悔しています。小学生の頃から「常に考えて行動する」という事を親から教育されていて、この方針を私が悪い方向に捉えて進んでしまった気がします。

 

こうした結果が消極的な姿勢を生み出したような気がします。常にリスクを考えて行動する、表面上楽観的な考えを持っているように振舞っていても、家に帰ってふと思い出すと考えてしまったりします。そうすると行動することが億劫になって家にとどまり、家で生産性のないこと(個人的にはオナニー)をやってしまう感じでした。

 

一年前に少しだけオナ禁をしていた時期がありました。ちょうどインターンシップや就職活動を始めた時期でした。この時期に本を読む機会が増え、自己啓発等様々な本を読んでいました。その中で学んだ事は、「あれこれ考えてもダメな時はダメである」事でした。

 

就職活動は会社の情報を色々調べたり、面接の対策をしたりしますが、あれこれ考えて対策してもダメな時はダメだったりします。人によって持っている知識と情報網には差はありますが、そのことが決定的な差になるとは限らないと思います。

 

例えば私はインターンシップに参加した企業に面接を受け、親密になったと思っていた面接官の方で落とされました。一方で何の縁もゆかりもない企業は内定を出してくれました。

 

世の中には確定的な事柄と不確定な事柄があります。確定的な事柄は試験に合格するために必要な点数や基本的な仕事のやり方といった「答えの分かるもの」、不確定な事柄は知恵、知識として勉強することや仕事で成績を伸ばすための行動といった「確実性のないもの」だと思っています。世の中で多いのは「確実性のないもの」であり、必死に考えて行動してもうまくいかない時があります。

 

面接は会社によって採用するための基準という「答えが分かるもの」を持っています。ですが、それ以上の内容は主観と感情によって決まる「確実性のないもの」になります。いくら面接で驚くような出来事を話したとしても「雰囲気的に一緒に働きたくないなー」というひとつの気持ちで不採用になることもあります。

 

この経験を踏まえて、あれこれ考えてようやく行動することは愚の骨頂であるとおもいます。自分の生活をよりよくするためにする思考は、人間の中でも素晴らしい能力だと思います。ですが思考に縛られて動けないのはもったいないです。失敗しても良いからとにかくやってみる、1人でもいいからやってみる。調べ尽くしてテストに合格する点数は取れるかもしれないが、調べ尽くして新しい事をやっても成功するとは限らない。そう思えるようになってから考える機会は減った気がします。

 

就職活動後はオナ禁を辞めていました。そうするとまた考えては行動しない日々に戻ってしまったので、改めてオナ禁を始めました。このような点から、思考が変わってしまうオナニーは悪だなと思います。私がオナ禁を再開して考え方は変わってきている気がします。考え過ぎずに行動するということが日常の場面で出ています。この考え方を忘れず出来ることを増やしていきたいです。